何者でもあって何者でもない <186/365>
朝、今日はもう仕事を休んでしまおう…と決意した。パトラッシュ、もうつかれたよ…と。決意したはずなのに、1時間後のわたしはすこぶる元気に仕事を向かっている。
ねー、この頑張りやさん、誰なんだろう…え?わたし?いやいや、そんなはずはあるまい!!
わたしは朝が大好きだ。
透きとおるような感性に、金色の朝陽がきらめいて溶け合う。
仕事の日は朝の時間帯に日記を書いてみるのもよいかも知れない…そんな閃きも、沸き上がる生きていることのよろこびも、元気も、外からは来ない。
わたしのまんなかの無限に繋がるゼロポイントから生まれ出ているんだと思う。それは命の響きだ。
自分と向き合う作業は、自分の内側に向かうことでありながら、外側へ向かいたえまなく開いていくことでもある。内も外もイコールなのだ。人のふりから我がふりが見えるのだ。まるで鏡に映すように。
今日もとりとめもないようなことを、スマホで書き綴っている。わたしはこのひとときがほんとうにしあわせだ。大好きだ。文章を書くことも、紡ぐ言葉にキラキラと命の光が入り込むときのうれしさも、ぜんぶぜんぶ。
どうしてだろうね…
自分の望みのままに生きるほど、自分への愛ゆえにがんばっちゃうほど、みんなのおかげでわたしは在るのだと、すごく奥深いところで思う。
自分だけじゃない力がわたしを動かし、歩ませる。そして書かせてくれるんだ。
自他の境界線を越えたいなら、
どこまでも自分の奥に入り込み、自分の「正体」を見てしまうことだ。
自分とは…在るようで無い、無いようでただ燦然と在る。そんな感じかな。
I am that I am…