LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

わたしの「太陽」はわたしだけ <128/365>

仕事をして、日記を書いて、家事をして、勉強して、恋をして(嘘)、毎晩濃厚な眠りにつく。
最近の日々をふとふり返ると、誰か別の人の人生みたいだ。充実している。長年やりたいと願ってやまなかったことを、今まさにやっている感...よろこびがある。

わたしがやりたかったことは「自分に正直に在る」ということだ。
正直に生きるために、つねに命を燃やすこと。全力でがんばるということ。
今思うとあまりにもシンプルなことだけど、気分、体調、不安、怖れなどなど、次々と生まれ、刻々と変化する自分自身の空模様と、その奥に在る「本質」とのちがいさえわからなかったんだ。わたしにとって「自分」という存在は、いつも手に負えないハリケーンだった。気づけば振り回されていて、生きるだけでせいいっぱいだったよね...と思う。

ほんとうの自分、どまんなかにある「本質」に繋がっていない人は無力だ。
いや、正確にいうと精神的には繋がっているとか、知っているとか、わかっているとか、そういうのとはぜんぜんちがう。または受動的に「降りてきた」とか「気づいたらこうなっていた」などというものではない。

自分の「意志」で繋がること。繋がると決めること。選ぶこと。
そこが重要なポイントなのだなーーーと思う。

自分の「本質」がブッダ、そして、人として生きているわたしはアナンダである。または、オスカルとアンドレ叶恭子さんと美香さん、実体とそれにどこまでも従順によりそう影みたいなもの。

人はどこかで自分よりの遥かにでっかい存在に、恋焦がれるみたいに憧れ、命を賭けてさえもその人に尽くしたいという欲求があるのではないか。自分の考えも感情も投げ打ってでも「○○様がそうおっしゃるならそうです!!!」と盲目的になることへの憧れ...その主だった典型が宗教だったり、極道だったりするのかも知れないけれど、その究極は自らの「核心」とその関係を築くことなのではないか。今日はそんなことを思った...ていうか、ほかにもいろいろ思ったことはあって、書きたいこともあるのだけど、今のわたしの状況、リアルタイムの中で書けることはこのテーマだった。

今感じているこの充実感も、湧きあがるような元気も、よろこびも、スタミナもぜんぶ、その源には「わたし」という存在への敬いがある。わたしは自分を好きでも嫌いでもない。好きなところも嫌いなところもある。それは以前となんら変わりがない、空模様の部分である。好いたり嫌悪したりしながらでも、自分という存在が在ること、今この世界に燦々と存在してること、その圧倒的なかけがえのなさの前では空模様もハリケーンも、途端に小さきもの、かわゆきもの、いとしきものと化してしまう。

わたしはアナンダであると同時にブッダでもあるのだ。
わたしにとっての太陽、わたしにとっての絶対的な神様、それは自分の「本質」だけだ。
命ある限り、わたしはそのしあわせをやりつくしたい。そんなことを思いました。

さて、本日も家族がひなどりのようにごはんを待っている。
今日はチキン南蛮と、厚揚げのチリソースね!いいな、わたしもうちの子になりたいわ!!(笑)