LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

秋の夜「つかれる」感覚もをおいしく味わってしまおう <127/365>


今日は日記を書くのにはキツイ条件が整った日だ。
台風14号接近中、低気圧の影響か、朝から気がついたら果てしなくぼんやりとしている。半分以上眠っているような状態と、シャッキーンと仕事をする状態をくり返していた。これが案外エネルギーを使うのだ。午後以降は心地よいつかれに身をゆだねていた。

そう「つかれる」って、実は意外と気持ちがいいのだよ。
1ミリも嫌がったり、逆らったり、抵抗しなければいいの。
ただ純粋に「ああ、つかれてるなーーわたしのからだ...」とスルメみたいに噛み締めて、その体感にぴったりと寄り添うとき、つかれていても心は自由で元気に満ち満ちていることを知る。そしてどういう訳か、味わいきるとつかれは溶けていってしまう。新しい力がグングン湧いてきたりする。

体力、ていうか、わたしたちの体って未知数だと思う。
わたしたちはみんな、自分自身の体のポテンシャルにリミッターをかけているのかも知れない。「これ以上活動したらあぶないぞ!」みたいな生命維持装置が働くのかも知れない。それから、自分の体がもつ底知れない力が脅威なのかもしれないね。ほんとうは思考なんかでコントロールできる代物じゃないもんな。自然の一部であるわけで。だけどコントロールできるような「かよわきもの」として認知していたいのかも知れない。
コントロールをやめたとき、きっと体は本来の力を取り戻すのではないだろうか...うおお、面白過ぎる!知りた過ぎる!まずはどんなコントロールがあるのか、みつけていこうではないか!今日はそんなことを思った。

今わかっていることは、ほんのわずかでも「つかれる」ことを嫌うと、どっとつかれるということだ。
「こんなにつかれているのにあれもこれもしなくちゃいけないなんて...ああ、いやだ!」とか、「なんとか元気にならなければ!鰻とユンケルとタフマンリゲインでも飲んだ方がいいかなぁ」とか。「つかれ」を重要視するとその渦中に巻き込まれて「無力なわたし」が出来上がる。なめてかかるくらいが丁度いい。「ああそう、「つかれ」ね、はいはい、わかったよー」くらいの軽さが必要だ。水と油みたい、軽いものは重いものとは混ざり合わない。そしてエネルギーは高いところから低いところへどんどん流れる。まことおもしろいくらいに。

今日の日記はすごいな。「つかれる」についてえんえん、いくらでも書けそうだ。楽しい。
そうそう、日記を書くのにキツイ条件のもうひとつ...今、家族がひなどりみたいにわたしがつくるごはんを待っている状態なの!今夜は鉄板焼き!たっぷりのきのことスズキをガーリックバターで焼いて...しめはお好み焼きでどうだ!
ああ、元気が無限に湧いてくる!!!
今宵はあったかい部屋でおいしいものを食べよう!