LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

朝は来る <184/365>

寒いときは寒さを味わおう。曇りの日には曇りを味わおう。
季節も天気も、ものの見事に移ろい、あたり前みたいなすまし顔でくり返しくり返して、気づいたら時代を塗り変えてしまう。

大いなる時の流れを想うとき
わたしが今抱いている「希望」というものは、ほんとうにわたしだけのものなのだろうかと思うのだ。
DNAレベルで脈々と受け継がれるもの。
そして、もっとシンプルに、無数の出逢いの中で、絶大なる共鳴の中で拡大するもの。
あらゆるすべてが、わたしの「希望」の芽を育み、わたしはその成長と実りをもってあらゆるすべてに還す。

わたしは今年、自らのナマケモノっぷり...端的にいうと怠惰さと、甘さが原因で仕事をくびになりそうになった。
そのとき気づいたことは忘れられない。
最愛の人から横っ面を殴られるくらいに強烈だった。
ああ、そうか...あのとき、わたしの横っ面を殴ったのはほかでもない、自分自身なのかもしれないね。

<<目覚めよ>>と。

自分の人生を創造するのは自分自身であることを想い出すための、痛恨の一撃!!!

同時に強烈だったこと。
それは、わたしを応援してくれている人たち、育んでくれたたくさんの人たちの限りなく貴く、美しく、あったかーーい真心を、わたしは湯水のようにじゃんじゃん排水溝へただ流し、その様を見送り、この手に掴み、胸に抱いて、感じ、味わうこともしないままただ無駄にしていたことへの気付きだった。

ろくでなし?
いやいや、そんなたいそうなご身分じゃなかろう。
真っ暗で、底もみえないような井戸の中に石を投げて、ピシャーーーンと音だけが響き渡る感触、底辺の手応え。
わたしはあのとき、自分の底をみたと思う。
もちろん先のことはわからない。まだまだハイレベルの奥深い底辺を体験することがあるのかも知れない。
それでも、あのとき体験した底辺は、自分が自分を落とし込める最深だったと思う。わたしにとっての自虐の最果てだった。

あの、響き渡るピシャーーーンという音。

あれを聴いたときから、わたしは昇っていくことを決意した。
そのためならどんな苦労も厭わないと。
ていうか、太陽が沈んでまた昇るみたいに。厳しい冬を越えて春を呼ぶ早咲きの桜が満開になるみたいに。
わたしは自分の上昇欲を止められなかった。

今日書いているのは、わたしの個人的な自己探求のプロセスの極まった局面を、ちがった角度から見つめなおしているだけなのだけど、
「夜明け前がいちばん暗い」「冬来たりなば春遠からじ」または「陰極まって陽となる」的な格言たちの通りだと思う。

今の世界も、その変化に浮き沈む人たちも、ぜったい大丈夫。そんなことを思った。
すべてはあるべき姿に向ってただ前進している。ひとつの狂いもない。人の都合で、時代の流れを小さき秤にかけようとするなかれ。このプロセスを尊び、その一部である自らをさらに尊び、この時代を体験できることのしあわせに気付き、かみしめて味わえよ。

今日はそんなことを思った。久しぶりに日付が変わるギリギリの更新になってしまったけど...自家製ナチョスもスパムサラダもおいしかったなぁ!食べて飲んで元気&しあわせーーーなのだった。元気があればなんでもできる!みんな、元気ですかーーーーーーー!!!!!!!