LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「ちがうこと」をしない <181/365>

気づいたら気の進まない誘われごと、頼まれごと、相談ごとを複数引きうけてしまっていて、心がなんか重たい感じになっていた。
あああ、そうなのだ。わたしは意外にも「No」と言えないところがある。どこまでも人の期待に応えたくなってしまうところがある。さらには調子に乗って、その場のノリで安請け合いしてしまうところがあるのだわ。

そんな自分をダサいとかダメだとか思っている、必死で責めている自分に気づく。
さらに、ダメだと思ったり責めたりすることもいけない、どうにかしなきゃと思っていたりもする。
気づくことで、そうやって何層にもなっている「抵抗」の外に出てみるのだ。
外側からみると、自分を「1人の人」として、客観的にみれるようになる。
「Noがいえない自分はダメだ」とか「人に嫌われるのが怖い」などの思考パターンが発動しているのだな、と。そんな自分は、いじらしくて、健気で、たまらなくめんこいではないか...!
うんうん、おまいらの気持ちよくわかったよ、ありがとうね、つらい思いをさせてごめんね。おいらがちゃんと理解して、すべてを賭けて守るから、そのままでいいよ、安心していいよ...!と思う。

自分と向き合うことはそのくり返しで、それが習慣になると、それだけで心は、干したての羽布団みたいに、ふんわりと軽く、あたたかく、しあわせになる。
自分の中に「うおおー!」と思うような思考パターンをみつけてた時点ですでに「おっしゃー!」と思うようになってくるのだ。

しかし、ほんとうはそこからが肝心要なのだよね。
無意識のうちに思考パターンがやっていた行動、つまりは「行動パターン」を選びなおすこと。
これも日々、コツコツとくり返すワークなのです…今わたしが重点的にマスターしようと思っているのが、まさにこの部分です…

だからこそ、今のわたしには、自分の「本質」である「どまんなか」からの動力でのみ動いていくことがものすごーーーく大切なのだよ。
ほんの少しの「まあいいか」が命とりになる。1ミリでも「ちがうこと」ができなくなっている。
すべてのベースになる、一点の曇りもない、晴れわたった空みたいな「ごきげん」「しあわせ」を自分で生み出すことを、ほんのわずかだけど、掴みかけているから。「かたち」としてパーフェクトにそれをくり返し、つみ重ねていくことが大切なときなのだと思い知るのです。

『「かたち」ができると、そこに心が宿る』
これは「日日是好日」という映画で、大好きな樹木希林さんが言っていた言葉だ。
茶道では、体が憶えるまで、くり返しくり返し、正しい「かたち」(作法)を気が遠くなるほどくり返してく。
「どうしてこういう動作をしなくてはいけないのか」などと頭で考えたり、頭で覚えようとはしない。
体が憶えて、体が自然に動くようになることに「美」が宿る。
それは澄み切った水面のように「無」でありながら、すべてを宿す美しさがあり、「無」は究極で、鍛錬がそれを創るのだと思った。

今ここにある「自分」という素材を、日々磨こう。
極限まで、磨いて磨いて、いらないものはどんどん落として、磨きぬいてみたい。
わたしの輝きは、そして、あなたの輝きは、まだまだそんなものじゃない。
自分がちっぽけでよわっちく思えるとしたら、それは磨いていないだけなんじゃないか。
磨きぬけば、きっと本質があらわれる。鏡のような自分にはきっと、あらゆるすべてが映る。