LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

観点をガラッと変えてしまおう~この星の人たちは~ <125/365>

この星の人たちは二足歩行をする。すらりと細長い手足、心臓を中心として精密な臓器を内蔵する胴体、数10キロの体重をわずか30センチ弱の足が支え、身軽に歩いたり、走ったり、踊ったりする。

...いきなり唐突ですが、わたしはよく上記のみたいな感覚になって遊ぶことがある。遊びなんだけどかなり真剣に体感してみることが好きだ。BOSSのコマーシャルで出てくる「この惑星の人々は...」というあれである。

実はわたし、子どもの頃からよくそういうことを思っていたのだよね。
それは急に起こるゲシュタルト崩壊みたいなやつで「今身の回りにあるテレビも、コタツも、座布団も、お茶碗もお箸も、この家の柱とかガラスとか畳とか、みんな誰かが一生懸命につくって今ここにあるんだ...ああ、人間ってどれだけすごいんだろう!!!」などと思い、感動し、泣きそうになったりしていた。今思うとめんこいな(笑)大人に言ってもわからない気がして誰にも言わなかったけど、子どもの頃ってそういうこと思ったりしなかった?わたしだけ?実はけっこういるんじゃないかなーとこれを書きながら思った次第である。ふふふ。

さてさて、大人になった今のわたしは、日々存分に思うままに、その感覚で遊んでいる。

この星の人たちは30センチ弱の足を「靴」と呼ばれるピッタリしたもので包んでいて、それは足を痛めないように汚れないように快適に動くことができるように人々が考え出したものだ。体を包む「服」と呼ばれるものにはたくさんの種類があって、それぞれが好みや用途に合わせて選ぶことができる。「靴」や「服」は人類が快適に、しあわせに暮らせるように工夫されていることから、この星の人たちの他への思いやりが感じられる。そして、それぞれが思い思いの服を着て、靴をはいて二足歩行する姿はとっても可愛らしいと思う。

今朝はこんなことを想いながら駒込の街を歩いていたわ(笑)
自分と向き合うとき、客観的に、「1人の人」として、外側からみる観点が役に立つのと同じように、目の前にある「現実」や「世の中」も外からみるとこんなにもちがう。美しく、いとおしい営みであったり、逆に、あーあーこんなことになっちゃてて悲しいなーということもクリアにみえる。だけど、この星の人たちはそれぞれが自分を必死で守りながら、胸のまんなかにかけがえのないものを抱えて生きている。そして死んでいく。切なくていとしくて、勇敢な存在に見えてくる。

観点をこんなふうに変えてみて、感覚的に遊ぶことを「現実的じゃない」と思う人も多いんだろうな。
でもほんとうに現実を見ているのは果たしてどちらかな?ふっふっふ!と思う。
「この星の人」としてどっぷりと現実に浸かることは面白いだろう。苦しくて大変でもみんなと同じものをみて考えて感じて、自分の感覚を使わなくていいし、責任もとらなくていい。何よりも孤独と向き合わなくていい。みんな孤独を感じないように一生懸命に時間の隙間を埋めている。その共通の「暇つぶし」による利害が一致するから1人にならない。そのレベルを生きている人がいちばん多い。それは現実ではない、夢だ、幻だ。もしくはとても限定された現実だと思う。そして、夢から醒めることはまーまー怖い。

そう、わたしはこの感覚を使うとき、「この星の人たち」の一員であることがとってもうれしいと思う。
二足歩行することも、胸いっぱいに空気を吸い込むことも、風や光、匂いを感じることも、そして、目が見えるという感動的な驚きを!!!「この星の人たち」がつくった「社会」という名の仕組みをまわす、その歯車の役割を体験することもたまらなく面白い。さあ、全開で体験しよう、力を注ぎ込もう、「この星の人」であることをしっかりとやりたいという気持ちになる。わたしはこうやってクリアに現実をみわたすほどに、地に足がつくから不思議。ああ、今がかけがえなくて、いとおしいと思う気持ちはどんどん深く、強くなっていく...!!