すべての<今>が愛しくて! <65/365>
このブログを始めてから、今日で記念すべき「100記事」になるんだって。
日にちもゾロ目。しかも無限×無限なんてテンションあがるね!
1日1日、日々をつみ重ねて、気がつくと時の流れとともにあらゆることが移ろっていく。
<変化だけが、安定である>
あらゆるすべてが変化していく中で、わたしは気づかない間にどれだけ多くと別れてきたんだろう。
変化することは、切ない。
生きることそのものが、ほんとうにどうしようもなく切ないことなんだ。
わたしの身体も、大好きな人たちの身体もどんどん老いていく。息子はもう小さな子供ではなくなってしまったし、尖がった高校生でもない。運転が大好きだった母は免許を返上してしまい、もう車の助手席に乗ることはできない。あたり前みたいに仕事に行く朝の感覚とか、ともに仕事をする人たち、ともにご飯を食べる家族たちとも、刻一刻とお別れのときが近づいている...ああ、なんということだ!
この、どうしようもない切なさを、わたしはまっすぐに味わうようになってから、
<今ここ>に生きていることのかけがえなさを知った。
その感覚はわたしのどまんなかに居座るようになり、
どんどん強く、心臓の鼓動に負けないくらいに、リアルで、確かなものになった。
そして、あらゆるすべてを凌駕した。
「こんなことをしていていんだろうか」とか「わたしはダメなやつだ」とか、
上手くいかないこと、思いどおりに進まないこと、
体調の悪い日、テンションが上がらない日、無気力きわまりない日、
やりたくないこと、めんどくさいこと、腹が立つこと、
言いたいことが言えなかったり、逆に言い過ぎてしまったり、分かり合えなかったり...
そんな現実に対する<抵抗>、
「もっと上手くやれるようにしなくては!」という思いをのみ込んだ…
もうぜんぶぜーーーんぶが
わたしにとっては、愛しい愛しい<今>でしかないのだよー!!!
優劣なんかつけられない。
いい現実、悪い現実とか、
いい日とか、悪い日とか、
上手くできたとか、ダメだったとか、
どうしたらそんなレッテルは貼れよう...!!
わたしたちに残された余命はわずかだ。
長くてあと数10年くらいのものだよ。永遠に生きる訳じゃない。
「今日はできなかったけど、明日はきっとできるよ!」と思うのもいいけど、
明日は来るかどうかわからない。
「できなかった今日」を、今、讃えたらどうなのか。いとおしんだらどうなのか。
来るかどうかわからない明日とか、未来の自分を心配するより、
今ここで生きていることを歓び、五感のすべてを開いて味わったらどうなのか。
わたしがいっていることはおかしいか。
なんだか、100記事目記念として、相応しい日記になった気がする。気分爽快、うれしさ全開だ。
死ぬまで更新していきたいなーと思った。文章を書けることが、今日もやっぱり、うれしい!