LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「苦い過去」との関わり方 <64/365>

思いのままに、謝ったり、悔やんだりできるようになって、わたしは生きることが素晴らしく楽になったなーーと今日は改めて思った。

特に「過去」に対して「関わり方がわかった」ということが、大きなことだった。
それがわかるまでは苦々しい過去の記憶、できごと、思いなどをできる限り小さくギューーっと圧縮して片隅に封じ込めようとしていた。なかったことのようにふるまうしかなかったのだ。

これって封じ込めようとすればするほど、今の現実に再生されるんだよね。
無意識に同じようなできごとをひきよせて、これまた無意識に同じような感情とか感覚を味わうの。
「苦々しい過去」と一緒に閉じ込めてしまった「大切なもの」を受けとるまで、なんどでもなんどでもくり返し訪れてくれる...まるで親切な宅配のお兄さんのように。


苦々しき過去を再生してみると、わたしは大体「ああーあのときどうしてあんなことをしちゃったんだろう!言っちゃったんだろう!自分のバカバカバカ!!取り返しのつかないことをしてしまった。心が痛すぎる。もう死んでしまいたいよ。生きる価値もないよーー」みたいなことを思う。

それに対して、今までのわたしは「大丈夫だよ!今度からはこんな思いをしなようにしたらいいよ。それにああいう状況だし仕方がなかったんだよ。わたしが悪いだけじゃない。○○がこうだったせいだよ!」みたいな思いで言いくるめようとしていた気がする。言い訳を含んだ内容だけど、こうでもして押さえ込まないともうあまりの「自分ダメ感」「自分生きる価値無感」に押しつぶされ生きていけないように感じていたから。うう、書いていても苦しいなーこの感じ。

反して、今のわたしは「謝罪の女王」である。
謝罪の素晴らしさを知ってからというもの、それを少しでも世に広める活動に身を捧げている(嘘)

「あのときこんなことをしてしまってほんとうにごめんなさい。ほんとうはもっと正直に、真心を尽くして関わりたかったんだ。それができなかったすべての人たちよ...ほんとうにごめんなさい」

そして、「ほんとうはもっと正直に、真心を尽くしたかった」わたしの願いよ!
叶えてあげられなくてごめんよ。できなかったことを自分で責めて責めて、苦しかったね、淋しかったね。そんな気持ちに気づいてあげられなくてごめんよーーー!!!

という具合に、もうあらゆることに謝りまくり、悔やみまくりなのだった。

「後悔」は悪いことだと思っていた頃は、とっても窮屈で不自由だった。
「後悔がない人生こそがすばらしい」みたいな。
「後悔しないようにがんばる!」みたいな。

...いやいや、別にいいよ。後悔しても。
せっかく後悔するのなら、もう全開で、思いっきりやるがいいさ!と思っている。

今生きているということ。
そのかけがえのない時間の中で、思い切り後悔ができること。全てをふして謝ることができること。それはこの上なくしあわせなことだなーーとやってみて気づいた。今が煌めき、潤っていく。

過去との関わり方は、足りなかった理解、愛、思いやりを、今のわたしが降り注ぐこと。
埋もれてしまった「正直な自分」その気持ち、痛み、傷をその全開のシャワーで包み込むことで、その中からこの上なく純粋な「願い」があらわれる。「ほんとうはね...こうしたかったの」という、子供みたいなキラキラな「願い」だ。
それこそがどうしても受けとらなくちゃいけなかった、自分のどまんなかからのギフトなのだと思う。


わたしは「過去との関わり方」がわかってから
それが「自分との関わり方」「人との関わり方」「現実との関わり方」ぜんぶに広がって、沁みこんで、生きることがとっても楽に、自由になった。

今日の日記はいつもわたしがやっていることのまとめでした☆