LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

どうしようもないままで、あなたはパーフェクト <119/365>

9月が終わって、10月がはじまると途端に「今年ももうわずかだねぇ...」という感じになるから面白い。まだ3ヶ月もあるのにね!わたしは「年をとると時の流れが早くなる」説がよくわらない。1ヶ月は30日くらいあって、わたしは30回も、寝たり、起きたり、服を選んだり、メイクや髪がうまくいったりいかなかったり、玄関のドアを開けて街の空気を感じながら歩いたり、日々ちがう<今日のわたし>というものと出会って、向き合って生きる、ごはんを作る、食べる、家族と過ごす、日記を書く。30回って、まーまー多くないだろうか。相応に「今月も生きたなぁ...!」と思う。意識的にがんばっちゃってる最近は特にそうではあるけれど、それ以前もわりとそこは変わらなかったなー。月が変わること、季節が変わること、年が変わること。「何かが終わって、今日からまた、新しくはじまる」的な感覚がわたしは大好きだ。

そんなことを思いながら...とてもフレッシュな気持ちで2020年10月、最初の日記を書いている。
この日記をはじめた頃は、文章を書くこと、そのものに超ときめいていたなーーー!!
しばらくはPCのメモ帳にただ書き溜めていて、公開することがものすごーーく怖かった...あの頃から、100回以上もわたしは駄文を書いては、毎日毎日更新ボタンを押しつづけてきた。

1年前のわたしが知ったら「おまえ、正気か!!!」と思うことだろう。
書くのであれば、もっとしっかりした文章を創りこんで、練り上げ、カッコイイものを公開しろよ!と。

うんうん、わたしも可能であるならそうしたいところだ。だけど、文章力も、語彙力も、表現力も、それから知識とか、見解とか、人間的な成熟度などが備わったら書こう...なんて思っていたら死ぬまで書けない。どーしようもなくへぼいままではじめてしまえばいい。へぼいことを書いて、今の自分のへぼさを思い知ることからしか、ほんとうには何もはじまらない。

死んでしまいたいくらいの自分自身に対する嫌悪。
わかる...わかり過ぎるくらいにわかるぞ!!!と、自死を選ぶ人たちに言いたい。

わたしたちの本質は、この物質世界を体験すること、生きること、生き抜くこと、それだけでとんでもないチャレンジで、多大なるリスクを覚悟でそれぞれがそれぞれに必要な体験をするために生まれてきたんだと思う。

わたしは、自分が出会った人が自死を考えるとき、「頼むからやめてくれ」と思う。実際に頼んだり拝んだりしたこともある。その人がその人であることの素晴らしさを、切々と語って説き伏せたこともある。「頼むからやめてくれ」それ以上でも以下でもない。だけどね、わたし「自死」が悪いと思っている訳じゃないんだ。超絶哀しく、可哀想なことだとは思うけれど、徹底的に「闇」とか「苦しみ」ばかりを体験しようと決めて、生まれてくる人もいるような気がするのだ。全体の中の、自らの役割として、堂々とそれを選んでいく場合もあるのではないかと。

もちろん、自殺を肯定してる訳じゃない。
だけど、死にたいと思ったことがない人はきっと少ない。その中で一線を越えてしまうには理由があるんじゃないかと思う。
もしも、うっかりと超えてしまったのだとしたら、苦しみの中にずっといたいのか、「ああ、やってしまった...!!!」と悔いるのか、自分で選び、バランスをとったらいい。なかったことにはならないけど、やり直しはいくらだってきくし、きっとそのプロセスそのものが、かけがえのない学びになる。

どうしようもないへぼさ...
だけど、わたしたちの本質は完全だ。
苦しみは大きいほど、実はその裏側に隠された宝物は無限大である。
つねにそれは同居するのだと思う。
へぼさと、完全無欠のかっこよさ、美しさ、命の素晴らしさ、さらには神聖さを、すべて貫く中心が誰の中にもある。

負けないでいこうぜ。
わたしも、こんなにへぼくても、ダメダメでも、ひたすらに正直に書き続けていくからさ!