LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

タイミングがいのち <117/365>

今日は1日お休みでもっと早く日記を書きたいと思いながら、アニメ「ベルサイユのばら」の動画をえんえんとみてしまった...オスカーール!!!そうして夜になり、いつものようにごはんをつくったり、食べたり飲んだりしゃべったりしているうちに、最初に書きたいと思っていたことはどんどん過去になってしまう。

タイミングというのは大事だ。
ファーストインプレッション。「今日はこんなことが書きたい」と、小さくて見落としてしまいそうな「種」が生まれたそのときに、フレッシュな閃きとともに動くのがいい。「どうせやるんだからいつやったって同じでしょう?」みたいなことが、人生や毎日の中でたくさんあるけれど、おそらくなにかを極めようとする人や、自分の仕事や行動に責任をとっている人たちは「タイミング」を外さない。もたもたしない。そして急がない。今日はそんなことを思った。

「責任をもつ」ということにも様々なジャンルやレベルがあるけれど、
自分のやること、成すこと、在り方に責任をもつということは、自分がどれだけ全体に影響を与えているか、全体の一部である自分ということを自覚することでもあるのだろう。そう、いつも「今」だけがあって、そこからしか全体に繋がることはできない。「今」というこの一瞬に、ぎゅーーっと自分の内側に向かっていくとき...そこから生まれるなにかで動いたとき、書き現すことができたときがいちばんうれしい。すかっとさわやかな気持ちになる。あの感覚を極めたい。つねにそう在りたいものだと思うのだ。

自分のどまんなか、「核心」から生まれてくる響きのようなもの...それは「感動」と呼ぶのがいちばん近い。
自分にとっての「核心」はきっと、みんなにとって、全体のとっての「核心」なのだろうと思う。「核心」からの響きであるならば、それは全体に拡がる。わたしが感じている「ほんもの」というのは、そういう性質のものなのだろう。どこまでも多次元を堪能できることはこの世界の醍醐味だけど、正直なことをいえばわたしは「核心」にしか関心がない。それ以外はどうでもいい。多次元な世界だからこそ、すべてを一筋に貫くもの。そこに限りなくときめく。どうしようもなく躍動する。焦がれるままに求めていきたいと望む。

タイミングが命だ。
すべては刻一刻と変化してゆく。
「今」このときにやれないのであれば、意味がないことはたくさんある。
そして、すべてはコラボレーションなのだということ。自分という「個」の内奥に向うほどにそこにたどり着く。