LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

自分と向き合う時間 <93/365>

目が回りそうな現実修行の日々。
職場は繁忙期のどまんなかに突入した。
そんな日々の中、毎日日記を書くことは思っている以上にハードだ。だけど書くことがわたしの根底を支えている。小さな一歩を刻む。自分と向き合うこの時間が、どんどん自分の中で大切になっている。

今のわたしは自分で自分を縛る。
働けと、休むな、つづけろと強いる。
楽なほうに逃げるな、自分との約束を守れ。自分の決意に責任をとれ。

まったく...以前のわたしだったら発狂しているのではないだろうか。
まあまあの地獄だ。だけどたまらなく楽しい。わたしの中に生まれた小さな小さな「意志」という新芽を日々欠かさず育てている歓びがある。

反して、ふとしたときに「努力している自分」というものに「存在価値」を見出していたり、「継続している自分」をギューーと握りしめて、どこかに行かないようにとどめようとしたりしている。
努力したり継続したりできている自分を「正しい」と思ったりする。正しいことをしているんだから大丈夫だ!などと思う。なにが大丈夫なんだよ、いったい...正しさ?いらん!大丈夫と思いたいの?いらん、いらん、いらん!!

気づいたら手を放す。
スピ系の人が多用する「手放す」という言葉は、本来はこうして、ただ握りしめている手を放す、ゆるめる、みたいな意味なんだろうな。捨てることとか、なくすことではない。切り離すことでもなくて、そっと手を放して、静かな気持ちで見てみることなんじゃないかと思う。

わたしの一部だと思っていた「思考パターン」を、わたしの中のわたしではないものとしてみる。
本源から生まれたものではなく、「外来のもの」のように「どんなふうになってるんだろう?」とみていくことが面白い。

最近のわたしは、自分の中にどんな「思考パターン」があってもいいじゃんねー!と思っているんだわ。
それがどんなに道徳に反していたって、悪の香りがするものだって「あったねーーーよっしよーーーっし!」と思う。(ムツゴロウさんのノリで)この子たちのおかげで、わたしの世界は限りなく豊かだ。多彩で、多角的で、あらゆるものを包み、含んでいる。