LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

自分の中の「誘惑」との聖戦 <84/365>

自宅待機最終日。
義母の要介護認定のための審査につきそう。
帰りに絶品とろろ蕎麦をごちそうになってせいろ2枚をたいらげるわたし。ああ、最高ー!...って、いいんだっけ、こういうノリで?

人生の中でおこる「大変なこと」とされていることって、案外その場面になるとこういうノリで過ぎていくものだと思う。誰かが病気になったとか、亡くなったとか、そういう最中にあっても人はお腹がすいたら食べるし、おかしいことがあれば笑う。神妙なときほどツボにはまり大笑いすることすらある。

一緒に笑えることがしあわせだ。
そして、どんなに状態がかわっていっても、あたりまえだけど、義母は義母のままだ。あらゆることに向かいあい、受け入れ、自らの人生を果敢に生きているのだなーと感じる。どんなに助けが必要になっても「弱い存在」なわけじゃない。誰もが避けられない「老いる」という過程、そこを生きることと、生きる様をまわりにみせることは勇敢なことだと思う。わたしは義母のここからの人生に関わらせてもらう一員として、それに気づいていることがいちばん大事だと思った。

ここ数日ずっと思っていることがある。
あらゆる文章とか会話の中でも同じエッセンスがわたしの胸をドキューンと射抜きつづける。
それは「意識」のことなのだけど、人はふつうに生きているといつのまにか、ふつうの「現実」の波にのみこまれるものなんだということ。これはもうきっと、そういうふうにできているということなんだと思う。
自分にとってどんなに大きな気づきがあって、それによって世界が180度転換したとしても「きゃーーすごいすごい!」とはしゃいでいるだけでは定着しないのだ。今、いい状態じゃん!と思うのならそれを保ちながらサイエンスして、さらに高みを目指す上昇矢印型の揺るがない「意志」と「努力」が必要なのだと思った。

わたしにはちょっと頑張って、いい感じになるといきなり調子にのってしまうという癖があるんだよなぁ!
「今で満足してるからいいの」などと思うのは停滞ではなく、堕落なんだと思う。
高みを目指しつづけることではじめて「安定」するのだ。
いや、なんとなくわかっていたんだけどさ...ようやく全身に響き渡る「痛恨の一撃!」みたいなレベルでわかったよ。思い知った。

「戦い」なんて言葉はよくない、とか思う人もいるんだろう。
わたしも昨日まではそんなふうに思っていたんだけど、もうそんな制限はぶっこわしまくって成長したい。
どこまでもどこまでも、わたしは自分の中にある「思考パターン」やら「癖」やら「習性」など、耳元で甘く囁いてくる小悪魔ちゃんたちの「誘惑」と戦いつづけ、勝利しつづけようと思う。
偉大なるブッダですら菩提樹の下で内なる「誘惑」と戦ったという。レベルとスケールはぜんぜんちがうけど、がぜん勇気がわいてくるエピソードではないか!「そんなに無理することないよー楽にやろうよー」と囁いてくる「誘惑」にはこのエピソードを突きつけてやる!フッフッフ!

わたしの中の小悪魔ちゃんたちは、そのまま在ってくれてよいのだよ。
その「誘惑」になびかない、強いわたしになるだけのこと。