LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

怖いけど...やってしまおう! <30/365>

今日でカウンターの数字が「30」になった。
約1ヶ月間継続できた!よかったなーーー自分よ!!!

この1ヶ月で、わたしは「自分がやると決めたことを、ただ毎日やりつづけること」
その「行動」が、わたしの在り方、生き方の中心に、確かな「芯」を創るんだと知った。
くり返すことで、それは強く、大きくなっていく。

やり続けること。
自分の内奥から選び、決意し、行動しつづけることでしか知ることができない、頼もしくてあったかくて、どこまでも深い、自分自身の「懐」を知ることができた...!そのよろこびは計り知れなくて、そのことばかり、30日間、手を変え品を変えて書き続けたような気がする。

わたしが日記をはじめたきっかけは、親友と約束をしたからだった。
そのときに話したことは、今もとても強く残っている。

「ほんとうにやりたいことをやるのは、怖いよね」と。
人から見ると「やっちゃえばいいだけじゃん!」と気軽に言えるような、小さく、簡単で、ぜんぜんリスキーじゃないようなことでも、自分にとっては、死に直結するレベルの恐怖である。それは、自分にとって、とっても大切なことだからだ。

そう、わたしは文章を書きはじめることが、意味がわからないほど怖かったんだ。
そういうとき「どうして怖いんだろう...」などと理由を探しがちだけど、その必要はないと、今は断言できる。
怖いままでも行動しちゃえばわかるからだ。ていうか、行動しないとほんとうにはわからない。

「怖いから」とか「苦手だから」とか、そういう理由で保留にしている「願い」がないだろうか。
いつか怖くなくなったらやろうとか、自信がついたら、○○な自分になれたらやろうと思っているようなこと。

そして、なにかを選択するときに「いやー大変そうだしなー」とか「頭が悪いし無理」とか、なんでいい、自分の中から言い訳めいた言葉が浮かんでくることはないだろうか。

そういう反応に気づくことは、実は「ビッグチャンス」だと思うのだ。


「わたしは継続することができない」
継続できてしまえば、これは真実ではなくなる。

「わたしはナマケモノである」
1年間皆勤してしまえば、これも事実ではなくなるのだ。

行動がすべてを更新していく。その流れを体験するとき、「わたしは○○だ」という、自分の「思考」がつくったレッテルそのものを疑うようになる。
「自分自身のことを、予測したり、操縦しようとしたり、計画を立てたり、そんなことはもしかしたら無駄なんじゃないか...思わない方向にどんどん変わっちゃうし、大変なことも案外楽しそうだし...こいつ訳わかんない!もう無理!」長年主導権をとってきた「思考」はそうやって影響力を失っていくのだと思う。

そう、そんなプロセスを体験した1ヶ月だった。
ここから先、わたしはどんなことに気づいて、どんなことを選んでいくんだろうね。とっても楽しみだ!