LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

すべての「感情」をとめないで <75/365>

今日は見事なくらい、あらゆることに苛立ちを感じた1日だった。尖ったナイフのようだ。
暑さに苛立ち、美容院ではのスタイリストさんの口数の多さに苛立つ。電車ではドアの前に立ちはだかるでくのぼうに(どけや)。スーパーではお客さんが落としたらしき100円玉を、レジを止めて延々と一緒に探す店員に(ほかのお客さん待ってるだろ!100円くらい店で立て替えとけ)...あとはなんだっけ。大好きな崎陽軒のしゅうまいは売切れていたし、喫煙所は封鎖されてた。母に暑中お見舞いメールを送ったら、ものすごいとんちんかんな返信があった。

あらゆるすべてに苛立ちはじめてから、かれこれ8時間くらい経過している。
こうなったらいつまでイライラして過ごせるか、挑戦してやろうではないか!

「イライラすることはよくない」という考えほどイラつくものはない。
苛立っている自分をどうにかしようとするから、その原因を外につくりだして、人や物当たったりするんじゃないのか。

わたしは今イライラしている。特に理由ない。以上。
そんなシンプルな感じでいいではないか。

ていうか、自分のイライラくらい、自分ひとりで受け止め切って当然だろう。
一緒に過ごす人がいるならば「今日はなんかイライラしてるけどごめんよ」と、すべてを正直に打ち明けるくらいの礼儀をつくせ。「イライラしてるときにそんなこと言ってられるか!」と思う気持ちはわかるけど...まったく、甘えてんじゃねーぞ!そんなやつにはイライラする資格などない。自分のイライラは自分のもの、相手の気持ちは相手のものだ。マナーを守って、スマートにイライラするくらいの器量はもちたいものだ。その上で、へっちゃらで日記を更新して、おいしいごはんもつくってしまおう。

たとえどんなにイライラしたとしても、たかが感情である。感じて、味わって、体験するものであって何かの「動機」にはなりえない。
イライラしてるから飲んじゃえー!とか、食べちゃえー!とか、けんかしちゃえー!とかやっちゃうとろくなことにならないのは、それが自分の「本意」ではないからだ。

感情は「心とからだの接点」から発せられる。思考の状態に応じた「からだの反応」なのだとエックハルト・トール先生はいう。そして、疲れていたり、眠かったり、ホルモンが不安定だったり、からだの状態に左右されることも多いように思う。

イライラとか、むかむかとか、鬱々とか、
そういう類の感情が自分の中ででっかくなってしまって、手に負えない、もうすべてを投げ出したい、一歩も動けない、と思ったときにはどうか想い出してほしい。

「止めようとするな」
「限界まで味わいつくせ」
「原因探しをするな」
この3か条を守っていれば、すべての感情は「感性」となって、人生をどこまでも豊かにする。

そして、通り過ぎてしまうのだよ。
わたしの苛立ちが8.5時間という記録を残して、すっかりと去ってしまったように。