LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「この世界」はわたしが選んだステージ <69/365>

この世界の片隅に』というドラマを観た。(※ネタバレ、過激発言?ありかも)
第二次世界大戦中の広島に生きる女性のお話で、アニメにも映画にもなっていて有名な作品だよね。

わたしが子どもの頃は、祖父母は戦争時代をリアルタイムで生き抜いた世代だったし、戦争を描いた映画やドラマ、小説なども、その悲惨さ、怖さを忠実に表現しているものが多かった気がする。裸足のゲンとか。

おかげさまで子どもの頃のわたしにとって「戦争」というのは、「大地震ノストラダムス含)」「親が死ぬことと」ならんで、三大恐怖の1つだった。この3つが「どうかどうか起こりませんように!」と、毎夜眠る前に神様に祈っていたことを想い出す。誰にとっても平和がいいに決まってる。大切な人たちには無事に生をまっとうしてほしい。万国共通、人として「基本の祈り」だと思う。


この世界の片隅に』を観て、とってもいいなーーと思ったのは、
状況がどんなに過酷であっても、その中で泣いたり笑ったり叫んだりしながら、存分に「生きている」人たちの姿がニュートラルに描かれていることだった。

ネタばれになるけど、主人公のすずが敗戦を知らせるラジオ放送を聞いて「納得できん!」とブチ切れるシーンがある。
これ以上犠牲を出さないためにとか、そんなん覚悟の上じゃなかったのか、と。
最後の1人になるまで戦うんじゃなかったのか、と。
わたしはこのシーンをみて長いこと感じていた、違和感の正体に気づいた。

「戦争はまちがいであった」
だから同じあやまちをくり返さないように「平和」の大切さを考えましょう的な考え方がある。

そんなの、誰だって「平和」がいいに決まってるじゃんか!!と思っていた。
そんな当たり前のことは、己の中でそれぞれが考えろや!そして、己の中に「平和」を築け!
なぜそこに「戦争」をもってくる?
「戦争を起さないために、平和を祈る」って、なんかおかしくないか?!と感じていたのだった。


まーーヤバイことを書いているかもしれない。
それでもここは誰も見ていないに等しいブログだ。そして、奇人変人の戯言である。
ただどこまでも正直に書くだけだ。

そもそも戦争で亡くなった方々を「犠牲者」とかいっていることに大いに違和感がある。
今日ドラマを観て、そのことに気づいた。
なめんじゃねーぞ!弱者みたいに扱ってんじゃねーぞ!
まちがいだった戦争の、犠牲者だとか、かわいそうだとか、一体どの口がいえるんだろう。

わたしは大好きだった祖父母に感じてたように、
特に徴兵され、台湾へ行ったときのことを「バナナがすっごく美味しかった」「台湾の人たちはとっても親切だった」と話してくれた祖父に感じていたように、戦争の時代を生きた人たち、そして、それによって命を落とした人たちに対して、言葉ではあらわせないほどの敬意しかない。尊敬してやまない。

自分が生まれ、生きていく時代の流れの中で、その変動を受け止め、ひたすらに生き抜いた人たちのことを思うと、わたしもそれに恥じぬよう、今、この「類似的平和」の時代を、「非戦争」の時代を「自分のもの」「自分が選んだステージ」として、しっかりと生き抜きたいと思うのだ。

せっかくの8月だから、もう少し動画サイトがオススメする戦争作品を観てみようかなーと思っている。
その時代を生きた人たちの力強さと、正面から向き合いたい。

憐れむとか、かわいそうとか、ふざけんじゃねーぞ!
そんなことを思う人たちの方が、よっぽど憐れじゃないのか。
悔しかったら、自分の時代にしっかりと根ざして、己が想い描く「平和」をそこに現すことに懸命になればいい。

あーーー久しぶりに思う存分に書いた。晴々!