LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

<時間>と<わたし>の関係 <9/365>

今日はカウンターの「9」という数字に、マジか!!!!!と思った。
まだそんなものなのか...体感ではもう1ヶ月くらいたっている感じがするぞ!

時間っていうのはほんとうに面白く、ほんとうに不思議だ。
1日24時間にして、1441分。そして、86400秒。うーーん数字にしてもぜんぜん実感がわかないけど、時間を「長さ」としてみたとき、それは誰にでも等しくあるのだと思う。
そこにググーーンと奥行きが加わったとき、まるで魔法みたいなことが起こったりする。
限りなく伸びたり縮んだり。心から楽しい時間を過ごしているとき、2~3時間ほどが、光の速度で過ぎてしまう驚きはきっと多くの人が体験していることだろう。

わたしは最近、時間にまつわるほんとうの魔法というのは「ああ、時間ね!そんなものもあったね...(遠い目)」くらいの状態のとき、フッと、難なく、使えるものではないかと思う。

とはいえ、これから書く内容については、まだ全然落とし込めていなくって...ここ最近で何回か「おや!」と思った程度にすぎない。だけど、今日はそのことが書きたい!書きたくて、もう書きはじめてしまったし!マジでどうなるかわからないけど、できるところまで書いてみようと思う。

わたしは生活の中で、繰り返し繰り返し、<時間>のことを考えている。
「○時に起きなきゃいけないから、○時には寝なきゃ!」とか、「わー!もう○時間も日記を書いてるじゃん!○時には終わらせよう」とか、逆に「今日はいっぱい時間があるぞ♪」とかね。あとはお馴染みの「仕事が終わるまで、あと○時間か...」などなどである。よく考えると、これってあーーんまりにも振り回されすぎじゃないだろうか?

そのことに気づいたとき「こういうのぜーんぶ、やめちゃったら一体どうなるだろう...」と思った。
「ていうか、どうしていつもいつも、わたしの方が<時間>に合わせなくてはならないの!むしろ<時間>の方がわたしについてこいや!」となんだか無性に思ったのだ。それができないというのなら、もう決別の覚悟である。金輪際<時間>となんか関わるまい、絶交だ!と。

ちょっとよくわからない...という場合は「身勝手な彼氏にただ振り回されている自分にある日突然気づいてしまい...気づいたからには、もうこんな関係は限界!まっぴらなのよ!」という状態を想像して読んでほしい。

いや、ほんとうにそんな心境だったかもしれない。
わたしはとにかく<時間>を無視することに挑戦しはじめた。
「○時に起きて、○時に仕事にいって」などはいいのだ。この場合は逆に、わたしが<時間>の利便性を活用しているのだから、主導権はわたしにある。無意識にうっかりと時計をみたりしてしまったときは「だからなにー?」とやり過ごすようにした。

これは<時間>VS<わたし>の聖なる戦いだ!
わたしの人生の主は<時間>などでは断じてない!!!主導権を「わたし」に返上するのだ!!!

そうこの聖戦は、今、まさに続いている....!

苦戦するのは決まって「頭」で考えて立ち向かうおうとするときだ。「ふむふむ、これくらいの作業なら、おそらく1時間で終わることだろう...さすれば先手を打って、こっちを先にやってしまおう!」などど、<今>ではない後先のことを企てたりすると、スタミナ切れで思うようにいかなくなる。

逆に、正真正銘<今>に集中して、<今>の連続を楽しんでいるとき、「<時間>よ、怖れるに足らず!」と思う体験が何度かあった。まさに時間を忘れるというような、その時に感じたことは以下である。

○おどろくほど疲れない。無駄なエネルギーを使っていない感じがする。
○過去&未来のことを考えられなくなる。<今>しかなくなる。
○<時間>が<わたし>に合わせたとしか思えないほど、ピッタリに終わったり、タイミングが整う。波に乗っているようなスムーズさがある。

そんな感じだ...ぜんぜんまとまらなくてどうしようって感じだけど、この観点、おもしろくないだろうか。
<時間>は、わたしが思いのままに人生を味わい、体験し、生き抜くための<サポーター>というのが本分なのだ。
時に優秀な「タイムキーパー」であったとしても「主」ではない。使うのはこのわたしの方だ!!!

少し前に書いた『責任をとる』『現実的に結果を出す』とも通じることだけど、「あらゆるすべての【起】は自分である」ということ。その中の挑戦の1つ、いや、遊びの1つについて、今日は書いてみた。また新しい気づきを更新していこう!いいぞ、毎日更新!