その「願い」叶えてあげよう <297/365>
※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓ってから、今日で297日目。
連続更新300日達成を目前にして、なんだか今日は「ブログを始めてほんとうによかったなぁ」という、力強いよろこびでいっぱいになっている。
わたしにとって「ブログを始めること」は、イコール、「やりたいことをやる」という、シンプルな決意だったのだよね。
決意のきっかけは、
「わたし、自分の願いを叶えようとしたことないじゃん」と気づいたことだった。
自分の中にある「わたし、文章を書くのがだーいすき!」という、アルプスの少女ハイジ級に無邪気な願いを、ロッテンマイヤー級の頑固さで足蹴にしているのではないか、と。
時間がない。
やるのならば完璧にやらなくては。
すごく大変そう。
きっと無理。
いつかその全部がクリアできたらやろう。
(以上、ブログを始めない理由)
やばい。これまじで、ロッテンマイヤー女史だわ。そこに愛はあるんかい?おい。
そう、わたしは自分自身をどうみていて、どんなふうに扱って来たのか、この時期にありありと気づいた。衝撃だった。
もういい。時間がなくても、不完全でも、どんなに大変でも、無理かもしれなくても、もうどーでもいいからやりたい。
それが自分の願いであるならば、茨の道でも歩もうではないか!
そんなふうにわたしは「やりたいことをやろう」、「自分の願いを叶えよう」と決意したのであった。(長くてごめんよ)
そして、始めてみてわかったのは、
「やりたいことをやる」ことは思った以上に大変で、その「大変」を含む、まるごと全部が「やりたいこと」だったのか。ということだ。
たとえば「やせたい」という願いがあるとする。その願いを叶えない理由は何か?
○食べることを我慢するのは大変。
○運動したりする時間も、根性もない。
○やるからには結果をださないと。
○なんだかもう、できる気がしない。
以上がその理由。
だとしたら、「やせたい」に含まれるほんとうの願いは…
○食べ過ぎることが不快だからやめたい。
○大変な経験をしてみたい。
○時間や根性がなくても、運動がしたい。
○結果への執着を乗り越えたい。
○できる気がしなくても、やりたいことをやれる、心強い自分になりたい。
ジャジャーン。こんなん出ましたけど。(古すぎ…苦笑)
これも、二極の世界の面白さだなぁと、今のわたしは思う。
ポジティブ面だけを受け取るなんてできるはずもなく。ポジティブがほしいなら、対であるネガティブも、一緒に引き受けることは必須なのだよね。
そういうふうにできている。とわかってしまえば、何のことはないのだけど。
自分の願いを叶えるための「大変」は、その概念をひっくり返すほどに、エキサイティングで、面白いことだから!
そういえば、今のわたしは、ゴールも結果も、とくにいらんと思っているのだなぁ。
そんなのなくても、もう、ありあまるほどの対価を受け取っているように感じているのよね。
その「対価」は、たぶん、「自分をまるごと引き受けた」ことから生まれてくるのだと思う。
「その願い、叶えてあげようではないか」
そう決めることは、「自分をしあわせにしよう!」と決めることだ。
自分よ、ずっと長い間、ささやかな願いすら切り捨ててきてごめんね。「どうせ無理でしょ」などと暴言を繰り返してきてごめんなさい…No More FoolishGame!
そうして、わたしは、生まれて初めて、自分自身と両想いになった。
あれあれ、なんだか、わたしのいちばんの願いって、まさにそれだったような気がする。自分をまるごと愛して、まるごと愛されること。ずっとそれがほしかったんじゃん!笑。
ユリ:yurixlovemax@gmail.com