いつくしみ深き <295/365>
今日はショッキングなことがあり、そこからたちまちにして立ち上り、今は反動のせいか、天にも昇るしあわせに包まれている。
写真は、わたしが生まれた病院の桜。
そしてこれは、シンボルなる、慈しみ深きマリア像。
今日は、仕事復帰に向けての検診で病院にきたのだけど、わたしは体に何かあると、いつもこの病院へ行く。
なんだかとっても、あったかーいのだ。
それって今、東京の街にいちばん足りないあたたかさかも知れないな。
「人によろこんでほしくて、動く」
超シンプルな動機。
ここには、そんな人たちがちゃんといて、その想いが、場所をつくっている。
だから、外から来た人たちは安心して、身をゆだねるのだろう。
そういう場所って、昭和の時代にはたくさんあった気がする。
頼もしくて、心強くて、身も心もゆるむ。
ていうか、ソファーに座っていると、診察室のドアの向こうから楽しそうな笑い声が聞こえるのだけど…どういうこと?
待合室で、看護士さんに、めっちゃディープな人生相談してるおばあちゃんがいるのだけど?看護士さんの半端ない傾聴力と、ひそかに耳を傾けてるみなさんの、もれなくやさしーーい表情がちょうどいい。
いいな、いいな、人間っていいなーー♪
日常の中で、ふとそう思える瞬間があったなら、わたしたちはきっと、かなりのことがあっても、大丈夫だ。
今でもぜんぜん大丈夫なのだけど、繋がれば無敵、響き合えば無双ではないか。
病院なんだけどね。パラダイスかよ、ここは!
マリア様のやわらかな愛のもと、そんなことを思った。