LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

『自分』は定義できない <208/365>

昨日、経験したことのないような『ときめき』をともなって気づいたこと。
今日はその中身について書いてみようと思う。

この日記を読んで下さっている方々は、とーっくにご存知だと思うが、わたしはかなり感覚的なタイプだ。そして、その感覚を誰にでも伝わるように、言語化することが苦手だと思っている。それから、ほんとうに感じていること、伝えたいこと、響き合いたいことは言葉じゃ無理、とも思っていて…
そうそうそうそう、そうなんだけどね、そういうのってぜんぶ、過去に思ったことで、ほんとうはどうなのかなんて、わかったもんじゃないな、と今、このときのわたしは思うのだ。

わたしは日常生活のあらゆることが、ことごとく苦手だ。
朝起きて仕事にいくこと。そのためにあらかじめ準備することのすべて。家事全般。支払いなどの事務作業全般。義務的な人間関係全般。健康管理、スケジュール管理…あぁ、生きるためにそんな多くのことを当たり前にこなさなくてはならないなんて…人生は苦行そのものではないか。そして、なんなくこなしてる皆様まじリスペクト!できないわたしダメ人間、と烙印を押していた。

しかしだ。
自分を観察してみると、やればできるのだよ。行為そのものは嫌いじゃないのだよね。逆にやったあとの晴々感、清々しさは大好物だ。
なにが嫌なのかというと、そういうことを「やらなくちゃなぁ」とか「忘れないようにしなくちゃ」とか思うことが嫌なのだ。なぜか凄まじいエネルギーを使ってしまい、消耗する。元気がなくなってしまうの。なるほど、わたしはその一連が嫌なのだね!と解した。

わたしは今の仕事を初めて丸3年を迎える手前、明日でいったん職場を離れるのだけど、3年かかって築いた自分のルーチンがあるのだなぁと思う。朝は何時に職場について、どんな流れで準備をして、何分にタイルカードを押すか、何分にログインするかなど、一ミリも狂わずにやっていることに気づく。わたしは意外に几帳面なのかもしれない…ていうか、身体が流れに慣れてしまえば、無駄なエネルギーを使わずに、どーっぷりと瞑想しながらだって動けちゃう。自動的にこなしてしまえる。

ほんとうはわたし、意外にもきっちりしたルーチンで、規則正しく日常を回した方が自由になるのではないか…?
それはずっと、いちばん避けていたことのひとつだ。規則正しい暮らしみたいなやつ。わたしがそれをやるなんて…狼に育てられた少女ジェーンが、人間界に連れ戻されるような感じ。きっとものすごく大変なことだろう…
だけどね、だからこそ、そこには計り知れない宝の山が隠れているような気がしてならないのだよ。だって『ときめき』が止まらないから!

そして、自分とは…
実は、自分が思ってるような人ではぜーんぜんないのかも知れんよ。わたしが自分だと思っていたのは、単なる習慣と、思い込みが創った偶像だった。
もう、ここから先は…なにがあってもおかしくない。クイーンが定義できないように、わたしも自分を、2度と定義できない。ていうか、しないだろう。まっさらな未知、無限の可能性、果てしない自由…なにものでもあるけど、なにものでもない「生命体」がここにあるだけ。