LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

堕ちる果てにあるもの <206/365>

今日は昨日の日記のテーマの、その先を書きたいと思った。
あのね…このところ、夕べの家族団欒が楽しくて楽しくて…すっかり書く時間が遅くなり、睡魔に負けてしまうのだよー。
あぁ、無尽蔵のスタミナがほしい。そして、1日が50時間くらいあったらいいなぁ!しかし『有限』という縛りの中でこそできる体験、面白さをお腹いっぱい味わいたくて生まれてきたんだよね。そう、わたしたちは1人残らず、いつか時間の外側へ旅立つ。『無限』へ還ってゆくのだもの…!

時間はどんどん流れる。
すべては移ろい、失っては誕生する。時間にも体力にも、そして、命にも限りがあるとこの面白さを、今日もめいっぱい味わいながら書こう。

昨日の日記は『堕ちる』ことへのオススメであった。
それはもちろん『堕落』、自暴自棄になることではない。もっともっと、その先にあるのものだ。
やさぐれるのも、自棄になるのも、堕ちることへの抵抗だと思う。ほんとうに堕ちたらそんな元気すらない。言い訳も出ない。逃げ道もない。

わたしにとっては「自分はダメなんじゃないか?自分で自分の人生を台無しにしてしまって、もう手遅れなんじゃないか?」という思いと「そんなんじゃダメだ!どうにかしなくちゃ!!」という思いがセットになっていたことが、怖れ、不安、苦しみの根源だった。

「そんなんじゃダメ…」の方は活動型でホットスパイスのようなものだと思う。過去に悲しくて、傷ついて、痛くて、淋しくて…思い込んだこと。たとえば「自分は誰からも愛されない」とか「無価値」だとか「必要とされていない」とか。そのどんな素材をも激辛く活性化させるのが「そんなんじゃダメ…」なのだと思う。
わたしの場合「そんなんじゃダメ…」がつかれ果て、精根つきて「もうダメだ…自分はもう、どーーすることもできひん…」と白旗を上げたとき、ようやくドン底にたどり着いた。
そこは静かだった。心置きなく悲しみ、泣くことができた。「自分はほんとうにだめだ。人生を台無しにしてしまった。取り返しがつかなくて、ものすごく悲しい」と。

When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be

そう、ビートルズのあの名曲。
苦しみの中にいるとき、聖母マリアがそばに来ていってくれるのだ。Let it be、あるがままにゆだねなさいと。

心のままに、逆らわず堕ちるとき、自分は堕ちることなどできないのだとわかる。ドン底とは、まさかビックリ、お釈迦様の手のひらの上であると知る。自分は孫悟空のように、いつだって極上の安心の中を、ひたすらに飛び回っていただけなのだとわかる。

そして、悲しみの中で寄り添う聖母マリア、すべてを受け入れるお釈迦様の手のひらこそが、わたし自身だと気づいた。そう、ドン底で初めて、わたしはわたしと運命の出会いを果たしたのでした。