LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

脱ナマケモノ宣言 ~はじまりのはじまり~ <176/365>

目の前にある「現実」を創っている大きな要素の1つとして「習慣」があると思う。
自ら選んで身につけたうれしい習慣もあるだろう。わたしにとってはこの日記を毎日書くということがそれだ。
「毎日文章を書くことがわたしの習慣です」そう言葉に出してみると、弾むようなうれしさがポップコーンみたいにぴょんぴょんと溢れ出す。軽やかで、誇らしい感覚。この感覚がきっと自分を大切にできているときのサインなんだろうと思う。

反して、無意識に選んでしまう行動パターンが「習慣」になっていることが、わたしには山のようにあってそれらで動いていると気持ちが重い。重力を感じる。なんなら足かせ的に、足を引っ張られている感を感じることもある。

数日前から感じていたことが、今日ようやく明確になった。
わたしはここまで、無意識に選んでいる古い「習慣」、行動パターンに気づきながら、重たいそれをずるするとひきずって歩もうとしていたんだと思う。ライナスの毛布のように、慣れ親しんだものを手放したくない思いがあったのだ。だけど、惜別の時は今だ。今をおいてほかにはないし、このままではもう前に進めないということがわかった。

さらば、ナマケモノでだらしなくって、自堕落、嘘つきで、適当で、いい加減なわたしよ。
この形容詞たちは、自虐でもなんでもなくて、わたし的にはちょっとお気に入りの要素だったのだよ。変だと思うだろうけどね。変だと思われることも含めてお気に入りだったのだ。

わたしは今日、ナマケモノを克服することを決意した。
「現実」は自らの分身、一部だと思う。
内なるものが外にあらわれたもの、それが「現実」であり「日常」であるのならば、わたしはコツコツと「習慣」を選びなおしていこう。日常生活を美しく整えていこう。古くなった不要な行動パターンはもう過去に流してしまおう。
美しく生きること。すべての行動に真心を込めて、わたしは自分を律していく。

わたしが今、決意した内容は、多くの人にとっては「あたり前」のことなのかも知れない。
けれど、少数派かも知れないけど、わたしのような巫女タイプもいると思うのだよ。
感度はよいけど行動が伴わない。現実に弱い。電車に乗るとか、何かを準備するとか、忘れ物をしないとか、期日通りに支払いをするとか、なんでもない現実的なことが極端に苦手。そんな要素に心当たりがあるタイプにとって、このプロセスは重要な砦なのではないかと思う。
ここからはいよいよ「現実」を伴っていく、創っていく、動かしていくのだ。長年夢見てやまなかった、はじまりの時だ。ひるまず、やすまず、コツコツと進んでいこう。清らかに、美しく生きる。内から外へ向かって、花が咲くように。