LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

きみよ在るがまま <137/365>

今日は素晴らしい日であった。
朝から史上最高にむかつくパワハラ上司と喧嘩の末に和解したのだ。積年の嫌悪感が雪解けのように溶けていく。そして、ぽかぽかの日差しをキラキラと抱きながら、透き通った水になって流れ出す。動き出す。

逃げないでよかった。
まっすぐに向っていってよかった。
怖かったし、怒りでわなわなと震えちゃったし、ちょっと泣けてきちゃうし、もう超絶ダサかったけれど「あんまりじゃないか!」と正直に主張できてよかった。「感情的になるのはよくない」とか「怒りは<ほんとうの自分>じゃない」などとかっこつけなくてよかった。自分を殺さなくてよかった。
パワハラ上司よ...心からありがとう!!あなたと出逢えて、心から嫌いになってほんとうにうれしかった!あなたを嫌いになったことを後悔なんかしていない...これからは全力でなついてやるから覚悟しとけ!!(Love)

それにしても、正しさを証明しようとしていない喧嘩はいいものだ。相手を変えようとしていない喧嘩もおすすめだ。喧嘩というのは真心同士のぶつかりあいだ。好敵手に出会った武士はきっとお互いに相手を讃え、いとおしさくらいは余裕で感じて、お互いがいてくれたことを心の底からよろこびながら戦い、切りあったのではないだろうか...ドラマのみすぎ?でもね、なんか気持ちはわからなくもないのだよ。自分の想いをぶつけた次の瞬間にはもう相手がいとおしくて泣きたくなる。ああ...ごめんよーー!みたいな気持ちになる。それでもこちらが投げたものをまっすぐに受けとり、逃げずに投げ返してくる。その姿勢はすでに賞賛に値する。いい投げあいだと2ストロークくらいでお互いの心が全開になってしまう。そして河原にはあはあ言いながら寝転んで「痛ってー...お前なかなかやるじゃねえか...」「おまえもな。いいストレートだったぜ...」などと笑いあい友情が芽生えるあの晴れ晴れとした心境になる。

まったくバカみたいだけど、バカで上等だ。
わたしは風が吹くみたいに自然に、怒れるならば怒り、叫びたいなら叫び、ぶつかるべき相手がそこにいるなら真正面からぶつかっていこうと思った。未熟でいい。「悟りの道はそんなに甘くないぞ!」というのなら別ルートを切り開いて進む。「あら、なんか最近おだやかに生きる感じになっちゃったわね!」とわたしが思うのならそう在ればいい。そんなことはどっちでもいいのだ。「こう在るべき」とか言い出したら即死だ。わたしは自分を孫悟空レベルにやんちゃに、冒険したり、遊んだり、大いに失敗して、反動で大成功しちゃうようなすべてを、この手のひらに乗せられるくらいのキャパは余裕であることを知っている。心配するな。いいから小さくまとまろうとするな。ありきたりの結論にたどり着こうとするな。楽するな。

こうしてわたしの世界は、いつでもわたしの在りかたや観念、想念など、自分では見えづらい部分を鏡のように外側に映し見せてくれる。ヤバイな...もう、なにもかもが愛じゃないかと思う。わたしたちはその大いなる愛に反抗したり、抵抗したりしているやんちゃなボーイズ&ガールズなのかも知れない。それでもいつもそれに生かされ、見守られ、育まれている。いつかその中に還るそのときまで。