LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

敬天愛人

自宅待機最終日。
重度のPMSで寝込んでいる。
座っていることができないので、今日は寝転んだまま、スマホで日記を書くことに挑戦してみよう。

オンデマンドで「西郷どん」をみてからというもの「人のために尽くす」生き方のかっこよさについて思っている。

「人のために尽くす」ことは素晴らしいことで、利己的なのは悪いこと、レベルが低いことだと多くの人が思っていると思う。
大久保利通より西郷どんが正しく、かっこいいと感じる人は多いだろう。

それゆえに「(自分で思っている)自分の利己的さ、未熟さ」を隠したり、向き合わないようにする目的で「人のため」とか「まわりのため」に生きようとするやり方があると思う。

これは西郷どんの「人のために尽くす」とは本質的に真逆のことだ。

表面的に「いいこと」をすると、まわりから認められやすい上に、自分にとっても大義名分となるため気づきづらく、こじらせやすい。

気づいた時には後戻りできないくらいに、自分がほんとうに感じていることや思っていることを無視して、封じ込めてしまうことがあると思う。

そう、わたし自身、スピリチュアルに嵌まった時期に散々にこじらせまくったから…!
あの時期はほんとうに、苦しかった!自分にとっても申し訳ないことをしたし、家族や関わった人たちにも、ただただ、ごめんなさいと思う。
ていうか、あの時期ほど利己的だったことはないのではないか?
「俺様は得がしたいし、えらいと思われたい。それだけが目的だ!」と曝す在り方の方がむしろかっこいい。清々しくさえ感じる。

今のわたしは「人のために尽くす」ことと「自分のために尽くす」ことはイコールだと思う。
自分の利己的さをとことん知り、1ミリも誤魔化さずに在りたい。
そして、自分が奥底からうれしいと感じること、しっくりくること、「腹に落ちる」ことを選びたいし、行いたいと思う。

わたしが思う西郷どんのかっこよさは、かっこつけないこと。腹を割れること。どこまでも正直で誠実なこと。
つまり、そうなろうとしてなっているのではなくて、自分として「本物」で在ろうとすること。わたしはそこにしびれている。