LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

「明日死ぬとしたら何がしたい?」 わたし、文章が書きたい!

「奇人変人聖人」として文章を書き始めて3日目。
まだこの時点ではブログなどで公開するところまで至っていない。なぜなら、超恥ずかしいからだ。
公開したところで、今のネット事情、なかなか誰の目にも止まらないと思われる。それでも!マジで死ぬほど恥ずかしい。怖い。怖い。死ぬことの次くらいに怖い。今考えてみるだけでひざがガクガク震えている。やばい、ビールが呑みたくなってきた・・・!どっかおかしいんじゃないか?と疑うレベルの怖さだ。

どうしてこんなに怖いのか?
「それはあなたが本当にやりたいことだからじゃない?」というような「たぶんそうなんだろうなー」系の生ぬるい天使の答えは置いといて、わたしは自分の中の悪魔・・・いや「奇人変人聖人」に問いかけてみたいと思う。

「奇人変人聖人」は、今までの人生であらゆる人にドン引きされ、白い目で見られ、空気が読めずに「もっとまわりの人の気持ちを考えなよ!」等と責立てられてきた経験を持っている。それにより、多大なるショックと「人間失格感」を味わってきた。だから、人前に出るのが怖いのだ。
無理もなかろう・・・と思う。だからこそ封印してきたのだしなとも思う。

反面「明日死ぬかもしれないんだぞ!」と思った時、「いいからやっちまえよ!」とも思うのだ。
人にどんな反応をされたとしても、例えば、嫌われたり、誤解されたり、罵られたり、石を投げられたとしても、今なら大丈夫なんじゃないかと思ってる。「奇人変人聖人」として傷つきまくって来た頃と、今の自分は決定的に違う。それは、わたしが自分の中の「奇人変人聖人」をたまらなく大好きで「アホな子ほど可愛い」と愛しく、大切に思っているからだろう。

「どうなっても、わたしの骨はわたしが拾ってやるぜ!傷つくなら傷ついてみろ!」と思っているし、誰かに好かれたいとか、評価されたいという願いはない。嫌われるのは怖いけど、そうなったら「泣きたいだけお泣きなさい」とわたしは「奇人変人聖人」をしっかりと胸に抱いて言うだろう。

以前は「人に嫌われる自分はダメだ」と思っていた。だから自分の「奇人変人聖人」面を責めたり、裁いたり、コントロールし、変えようとしていた。なんて可愛そうなことをしてきたんだと思う。申し訳なくて涙が出てくる。今のわたしは「人に嫌われて泣く自分はとてつもなく可愛い」と思う。

椎名林檎の「幸福論」の歌詞のまんま。

時の流れと空の色に何も望みはしない様に、素顔で泣いて笑う君のそのままを愛してる故に
あたしは君のメロディーやその哲学や言葉、全てを守り通します。
君がそこに生きてるという真実だけで、幸福なんです。

そう、幸福なんです。