自分と向き合う ~内観~ <313/365>
※この日記は1年365日間、連続更新に挑戦中です。<継続>を誓って、今日で313日目。
気持ちよくくたくたな休日。
働くって気持ちいい。
心と身体から生まれてくるエナジーを自分以外に向かってガツンと使い切ること。その感覚が大好きだ。
それ自体はきっと仕事じゃなくてもできるはずなのだけど、対価をもらうことで限界ギリギリか、それを少し上回るところまで力を出そうとする。
そして、まだまだだなぁと悔しかったり、よろこんでもらえてうれしかったり。
丁度いいバランスでわたしを使ってくれて、挑戦させて、育んでくれる今の職場が大好きだ。
東京は曇り空、荒れ模様。
わたしは晴れ晴れした気持ちで内観している。
自分自身と向き合う時、いちばん大切なのはこの「晴れ晴れ感」だと思う。
どこまでも澄んだ神さまみたいな視線を自分自身に向けること。
ありのままの自分と向き合う時、「自分のこんなところがダメだ」と感じたなら「自分のこんなところがダメだと感じてる自分」と向き合うのだ。
自責する自分、自責している自分をさらに自責している自分のもっともっと外…
内なる神さまの目線は、すべてのジャッジメントの上にある。
自分を改善しようという発想の外にある。
感情よりも思考よりも奥にある。
だけど、ジャッジもバイアスも、感情も思考も、すべてを包容する「全体」でもある。
うーん、わかりづらいよなぁ…。
神さまの目線でみる時、わたしの中にあるあらゆる要素は「愛しき我が子たち」にしかみえない。いいも悪いもない。すべての要素は等しく自分の分身なのだもの。
存在すること、生きることを存分に体験してほしい。生を楽しみ、大いに遊ぶがよい。かーちゃんはいつもここで見守っているよ。というような心境。
そんなふうに内観する時、自分を通して世界をみているような感覚になる。この広く豊かな世界の、わたしはすべてをみることはできないし、わたしがみている世界は誰ともちがう、わたしだけの世界なのだと思うのだ。
その、わたしだけの世界のすべてを、わたしは神さまの目線で見守っていこう。自分を通して、この世界を。
内観とは、内なる神さまを使うこと。
ミジンコくらいに小さいかも知れないけど…ちょっと、神さまの見習いみたいな感じがしないだろうか。
そう、恥ずかしいし畏れ多いけど、わたしはそんな心持ちで生きている。
自分の中の神さま要素をどんどん使って、鍛えて、大きく育てたいという魂胆なのであーる。
自分と向き合うこと。内観はそのための基礎だと思う。
ユリ:yurixlovemax@gmail.com