LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

その花は「愛」でしか咲かない <165/365>

お。今日の日記を書いたら、1年までちょうど残り200記事ではないか。
その上、このブログを開いてからこの日記でちょうど200記事目になる。
なんたる偶然!そしてなんたるうれしさ!自分よ、おめでとう!!よかったねーーー!!!

こんなふうに、訳もなくあふれだすよろこびに理由はいらないのだよ。
わたしは割合とするなら、1日のうち65%くらいをよろこびのままに過ごしている。心の中をアルプスの少女ハイジがキャピキャピと飛び回っているか、深遠な澄みわたるみずうみのようにしずかーーーにそのよろこびをたたえているかのどちらかである。
よろこびにあふれる自分をみて「よちよち、よかったねーー!うれしいねーー!」と思う。
アホだと思うかも知れないけど、自分へのこの関わり方の威力、あなどってはいかんぜよ。新芽が育つときに光と水が必要なように...二日酔の朝のお味噌汁が五臓六腑に染みわたるように...冷え切った身体をあったかーいバスタブに浸すときみたいに...「在るがままの自分を、自分自身に受け入れてもらうこと」は、自分の乾いたところをすみずみまで満たしていく。このじゅわーーーっとなるしあわせを体感していくと、誰かから満たしてもらう、わかってもらう、認めてもらうことでは、ちょっといい気分になれても、いちばんほしいところはぜーーんぜん満たされないんだよな...と気づくようになる。

自分自身との相思相愛。
その状態は、よろこびとしあわせを無限に生み出すビッグバンだ。
自分を無力なもの、かよわきものと決め込んで、しあわせの「起点」を外に求めると、ブラックホールみたいにいつまでも、どこまでも、探し、彷徨って、あまりの虚無に絶望してしまうだろう。
だけど、わたしの中にブラックホールがあるからこそ、わたしの愛は無限になる。
両極があるからこそ、どこまでも深く、強く、拡がっていくことができるのだと思うのだ。

わたしたちの本質はきっと、純然な愛、よろこびなんだろうな。
そして、身体をもって生きるということは、その「対」、「対極」の存在を得るということなのかも知れない。
ツインソウルとか、ソウルメイトとか、それはわたしにとっては自分自身のことだわ。ずっと近くにい過ぎちゃって気づかなかった最愛の可愛い子ちゃん。あなたがいるから、わたしはほんとうの愛とよろこびを知る。そのものになっていけるのだよ。この宇宙でたったひとつのわたしというこの花は、きみがためにだけ咲き誇る。