LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

いとおしき体の記憶 <141/365>

ヘビー級の生理痛で寝込む。正真正銘のノックダウンだ。起き上がれない。
今回の人生でもうあと何回こんな体験をするのだろうか。年齢的もそろそろ最後かな。夜になって元気になってきたわたしはそんなことを思う。そしてすぐに、そんなことさえわからんのがわたしたちなのだと思う。一寸先は闇である。それは希望の光がない、怖ろしいことが待っているというニュアンスではもちろんなくって、「今じゃないから考えてもむだ」で「無限の可能性があるってことよ!」という意味だ。光とは生命そのもののことだとわたしは思う。自分が生きている「今ここ」だけが燦々と照らし出されるその中心。照らしているのは自分自身である。

今日は1日ベッドの中で、ばなな先生の新刊を読みながら、気が遠くなって気絶するみたいに眠って、目が覚めたらまた本を読んだ。
子供の頃、熱を出して学校を休んだ1日みたいであったかく懐かしさに包まれて過ごした。
体に刻まれてる「記憶」がある。体がある一定の弱り方をしたときにだけ想い出す体感覚を伴った感情がある。小説の空気感とも共鳴してたくさんの今はもうわたしでなはい、わたしの感覚がパーッと強烈に蘇っては薄れていく。それは、過去だから葬り去るべきものだとか、癒すべき痛みとか、浄化すべきものとか感じじゃないのだ。「ああ、そうだったね、そんな体験もしたね。あの頃は不安だったね。大変だったね。一生懸命生き抜いたねーーー!!」みたいな感じ。
この体という同じ船に乗って、
この人生という航海を、共に体験してきた大切な仲間たちみたいに思う。
今はもうその役目を終えて表に出てはこないけれど、彼らから渡されたバトンを確かに受けとって今のわたしは生きているのだなぁと思う。

血気盛んだった若き日のわたしよ。
真心とか敬意とか友情よりも、見得や保身や色恋を優先させていた愚かな日々の不安よ、怖れよ、無力感、後ろめたさよ。ふり返ると、自分にも人にも申し訳なさでいっぱいになるし、そんな体験をもさせてくれるあまりにも大きすぎる愛に打ちのめされて泣くしかない。
ただ、今、新たに思うこととしては、すべてはいいとか悪いとかじゃない。プロセスだったのだ。今、この手の中にある「バトン」こそが核心。それはいつのときも不動だったと気づく。

しあわせであること。
そう、どんな闇をも圧倒的に照らすくらいに、しあわせであること。
もうこれからはわたしの仕事はそれだけだなぁと思った。二極の中を揺れながら、傾いたり、倒れたりすることがあっても、おきあがりこぼしみたいに何度でも「正中」に戻ればいい。その繰り返しで中心は強く、確かになっていくのだと思う。