LoveRocks

愛がロックする日々。感じたこと、思ったことを綴る。

いちばん優しくて、いちばん強いもの <43/365>

今日はなんだか疲れてしまって有休申請。
買出しをしたり、ひたすらのんびりと過ごしていたら、ガンガン元気が湧いてきた。
明日からまたがんばるぞーーー!

失敗したり、ガス欠で動けなくなったり、空回りしたり、いろいろ。
そしてまた明日に向って、ワクワクしたり、燃え上がったりできることがうれしい。

すべてを大きく包み込む、極上の羽毛みたいな、ふわふわな「自己肯定感」がたえまなく共にある。
公園の砂場でお城をつくることに夢中になっていて、ふと振り返るとそこにお母さんがいて、静かに微笑んで見守ってくれているような、絶対的な「肯定感」だ。これ以上にふわふわでやさしいものはなく、これ以上に力強く、無敵なものもない。

わたしはわたしの子であり、母でもある。
「え、わたしって2人いるの?」と思うけれど、2つで1人なのだ。
失恋して海に向って「バカヤローーー!」と叫ぶわたしと、「わたし悲しくやるせなくて、海に向って叫んでいるな...」と気づいているわたし。
気づいている側のわたしが「ほんとうのわたし」なんだけど、この地上でのめくるめく冒険は「人としてのわたし」を主人公として、酸いも甘いも同等に味わう。そして「人としてのわたし」をしあわせにするミッションがあると思う。

わたしはゲームはやらないから誤認があるかも知れないけど、RPGのキャラクターとプレイヤー(操作する人)の関係と似てるんじゃないかな。キャラクターを通してじゃないとスライムとかゴブリンとかと戦ったり、チョコボに乗ったり、魔法をおぼえたり、姫を救い出したりできない。それはとってもスリルに満ちて、ドキドキワクワクを体験できる。そして、夢中になっていると、わたしたちはうっかり、キャラクターを「自分自身」だと思い込んでしまう。RPGの世界で生きてるような「錯覚」を起してしまう。それが今、この世界でふつうに起こっていることなのではないかと思うのだ。

少なくともわたし自身はそんな感じだったなー。
「人としての自分」がすべてだと思っていた頃は、次々とあらわれる敵と戦って勝たなくてはいけないと思っていたし、どうにかしてレベルアップして、次なるステージへ進まなくてはならないけれど、それができない自分はへたれであり、落後者だと思っていた。戦いの日々そのものがウンザリで、生きることそのものにウンザリしていた。

今は「ほんとうのわたし」が「人としての自分」を使って、「人生」というわたしのために用意された高性能でスペシャルなRPGを真剣に遊んでいるみたいに思っている。

ブルーハーツ甲本ヒロトは、人生は「一生では回りきれないテーマパーク」とたとえている。
「なんだか僕は地球というテーマパークに生まれたような気持ちがするよ。パスポートを持って」と。

「ほんとうのわたし」に気づいてからそんな余裕がもてるようになった。
感情も、状況も、身体のコンディションにも振り回されることのない「肯定感」。
それをもてるようになったことが、うれしく、しあわせだなーーと今日はとても感じていた。

週末も雨がつづくみたいだね。
想いはいつでも太陽のように、熱く燃やしていこうじゃないか!